昼、部屋の机に向かってじっとものを書く時間あり、嬉しい。
夕方、オリンピックセンターに出かけ、夜になるまでMちゃんとストレッチ&朗読稽古。二人連れで部屋に戻ると、Y本さんがちょっと借りてきた猫のようになっている。Y本さんはMちゃんを遠くから知っている。MちゃんはY本さんの編集した本を買ったことがある。初対面のふたりは、演劇の話がもりもり進む。テーブルにはビール、ごはん、肉味噌炒め、豚のお鍋。
Mちゃんが帰ったあと、ちょっとダラリとしたY本さんが持ってきていたアニメを二本見る。「ほしのこえ」と「式日」。重く疲労のたまる映画の最後に、とどめのように流れるCoccoの歌。わたしはこういうの嫌い。自分だけが不幸だと思っている表現は(それが事実不幸だとしても)嫌い。表現できるということは、そこまで不幸ではないのだ。だから、そういう表現はみな不幸のふり。不幸のふりは嫌い。