ひさごや

ひさごやが、なくなった。
ひさごやは、女がひとりで切り盛りする店だ。
ひさごやは、おむすびや団子を売る店だ。

 

ひさごやが予定外にやすむとき、
出来たてのおむすびの名前を貼りだすとき、
いつも同じ筆ペンの字体だった。
あれはあのおばさんの、字だったのだろうか。
たぶん、そうだと思う。

 

ひさごやは、なくなったのではなくて、八王子に移転したらしい。
でも、私の町からは、なくなってしまった。

寂しい。

きょうの風景(5/4)

ゴールデンウィーク折り返しの土曜日。品川駅で野村さんと待ちあわせて、北品川を歩いた。びっくりした、品川というのは、海辺であった。旧東海道というのは海沿いの道なのだった。品川神社、というか御殿山は、小高い桜の名所であった。江戸の人は春の品川の海辺で花見をしたのだろうなぁ。

一度、案内板の古地図と海抜を見てしまった目には、旧東海道を左へそれてなだらかな坂をくだった先へ、波がちゃぷちゃぷ打ち寄せているのがハッキリ見える。でも、もう一度目をこすってみると、アスファルトはその先へも続いていて、住宅街の向こうに天王洲アイルのビル群が見える。吹いている風には潮の匂いが混じっているのに、足は地面を践んでいるので、ソワソワしてくる。

鯨塚の近くには、錦鯉のうようよ泳いでいる小さないけすと、またがるとぽよぽよ跳ねる鯨の遊具があった。

品川神社のりっぱな富士塚に登った。山頂からはずっと向こうまで見渡せた。すぐそこに海があるはずなのに、立ち並ぶビルのせいで見えない、というよりは、私の目には確かに海が見えているのに、なぜかそこにビル群のかたちのもやがかかっているという感じだった。旧東海道沿いの軒並みは同じ色調・同じ高さに揃って、不揃いなたてものの並ぶ埋め立て地との境界線がよくわかる。富士塚の山頂には鯉のぼりがたっていた。六月の新潟への旅の安全を祈っておみくじを引いた。

賀茂真淵の墓を見た。四角く削られていない、自然なまるみの、洒落た墓石なのだった。

いい風の通るカフェで、ガッパオと、温かいコーヒーをいただいた。お店の女の子が、これからパラオへ行くと言って、出掛けていった。

もとこさんとミケレ(ふたりのきちんとしたダンサー)

ローマの空港についたのは、日付が変わるぎりぎりの時間だった。私たちはベルリンからローマへ行くのにまだ日本でも乗ったことのないLCCというものを使った。地上階にある搭乗口に真正面から向かってくる飛行機や、日本の新幹線の清掃ばりにスピーディに機内を掃除しているらしいフライトアテンダントの人たちや、小さい子が通路をどたどたと走り回る、イタリア人だらけの、なんのサービスもない機内に目を見張っているうちにローマに着いた。私たち以外にアジア人はいなかったし、私たち以外は全員イタリア人だったかもしれない。何かに似ているなと思ったら、深夜の長距離バスで移動するのに似ていた。

出口のところで誰かが大きく手を振っているのが見えて、やっぱり、もとこさんとミケレだった。もとこさんは真ピンクの、ミケレは真みどりのポロシャツを着ていた。でもふたりが目立ったのはそのせいだけじゃなくて、ふたりともきちんとしたダンサーで、ふたりとも身体をどう動かしたら大きな身振りになるかを知っていたからじゃないかと思う。私たちは春以来の再会を喜びあって、はじーがベルリンで英語に揉まれて強くなったことや、ベルリンのみんなが優しかったことや、ヘルシンキが美しかった話を順番もなにもなくひとしきり笑いながら喋りながら車に乗って、すると、もう深夜だというのに、ミケレはEURを案内するといって、その日も仕事で疲れているに決まっているのに、まっすぐ家へ向かわずに寄り道してくれて、ムッソリーニのつくった夢の建てもののいろいろとか、比較的最近の建築家が作ろうとしている理想の建築(理想が高すぎてなかなか完成せずにいる建築)とかを、私たちはひとつひとつ車のなかから眺めた。

家に着くと、歓迎のしたくが整っていて、生ハムやビールやマスカットが、静物画みたいにランプの灯りのなかに浮かびあがっていた。ものすごくおいしいシャンパンを私たちは飲んだ。はじーともとこさんは、その晩ふたりで夜明けまで喋った。まだミケレが現れる前、東京の私たちの部屋でもとこさんとはじーがたいへんな喧嘩をしたのを私はよく憶えていたので、とても嬉しかった。ふたりは友達であるのとまったく同時に、兄妹なのだった。

出発しなければならない日には、ローマにいるあいだにすっかり好きになったバジリカ様式の教会で、知らないカップルの結婚式にふたつも立ち会った。誰も知らない私たちがいちばん外側の椅子に座って天井のモザイクや窓ガラスを眺めていても、新しい夫婦はバージンロードからにっこり笑って挨拶してくれた。

それからEATARYという巨大なデリのセンターみたいなところに行って、チーズや生ハムを買いこんだ。ミケレは旅のあいだじゅう私たちにローマの歴史や建物の成り立ちを説明してくれるので、周りの観光客やイタリア人まで、ミケレの説明を聞きに寄ってくるくらいだった。EATARYでさえ、ミケレは迷っているおじいさんにイートインスペースの使い方を教えてあげていた。

空港に向かう前に、四人でオスティアの海に行った。オスティアというのは映画監督のパゾリーニが愛した場所で、殺された場所でもあった。湘南みたいなビーチの風景に沿って少し北上すると、ぼうぼうに生えた藪のなかに、そこだけ整地されて芝生になった場所があって、パゾリーニのいろいろな業績の書かれた記念碑がたっていた。こんなうら寂しいところで殺されるなんてぞっとする。でも、パゾリーニにとってはどうだったのか、わからない。

海をバックに、釣りをしていた人に記念写真を撮ってもらった。ローマのさいごに海に辿り着くなんて、思ってもみなかった。静かな、湖のような海だった。

空港で私たちが搭乗ゲートに進むとき、ミケレはクルクル踊ったりジュテしたりして見送ってくれた。誰かをあんなふうに見送れたらなぁ! 踊れない私は、はじーの肩につかまってぴょんぴょんジャンプして、別れを惜しんだ。それをゲートの警備のおじさんが、やっぱりにこにこして見ていた。

ベルリン、ローマ、ヘルシンキ(つまりは、熊と、狼と、熊)

去年の秋にベルリンとローマとヘルシンキにいってから、ずっと、ずっと、どこからこの10日間の長い旅について書けばいいのか、書こうか、書くのか、私は、書きたいのか?うじうじと迷っていた。

外国を旅行するのは、とてもひさしぶりのことだった。外国を旅行するのは、山に登るのとは違った。でもそれは、山に登るよりも複雑だとか、高度だとか、そういうことではぜんぜんなくて、ひとことでいうと、もし山に登ることが自然に曝されにいくことだとしたら、外国を旅行するのは、自然に対する人間の態度に曝されにいくことだった。

私はもう、どうしてもベルリンに行ってみたかった。アートのまち、セクシーなまち、大人のまち(らしい)、というので。それから、もとこさんに会いに行きたかった。もとこさんは私の友達で、ダンサーで、何年もベルリンに住んでいて、それからローマ人のミケレという男の子と結婚して、いまはローマに住んでいた。私はまず、この旅を、はじーと行くことに決めた。そして、全力で調べたなかでいちばん安い飛行機のチケットをとったら、経由地のヘルシンキで次の飛行機を17時間待つことがわかった。それで私たちは、ヘルシンキも覗いてみることにした。

ローマには狼が、ベルリンには熊が、ヘルシンキにも熊がいた。ローマの狼はふるい建物の石壁に彫られていて、双子のロムルスとレムスにおっぱいを吸われているすがただった。ベルリンの熊は、Uバーン駅のアーケードを通るたびにみかけた。ちょっと間の抜けた仁王のように立ち、いろんな色に塗られていた(Berlinという街の名前にBearが由来していることは、帰ってきてから知った)。ヘルシンキの熊は私の膝くらいの身長の石像で、空港のまわりに点々と据わっていた。

ヘルシンキでは鮭を、ローマでは山羊を食べた。ベルリンではビールを飲んでばかりいた。どの都市でもチーズをたらふく食べた。ローマの山羊は、あぶらをこれでもかとジャガイモに吸わせ、ハーブをめいっぱい詰めこんでかりかりに焼きあげられていて、草いきれと血のたぎるような味がした。動物の肉、哺乳類の肉を食べるというのは、こういう激しいことなんだ。私は美味しさにくらくらした。

ヘルシンキには港があり、ローマにはオスティアという海辺の町があった。ベルリンにはお行儀のよさそうな川が流れ、街じゅうに大きな木がはえていた。大きな木の並木道を、大きな犬を連れた大きな人が歩いていた。電車にも大きな犬が乗っていて、当然のようにほかの乗客とアイコンタクトし、頭の上をまたいでいく者にはあからさまな不快感を示して、睨みつけた。オスティアの犬は痩せていて、遠くからこちらを見た。

ヘルシンキにはいろんな種類のかもめがいた。ベルリン中央駅の近くのケバブの屋台で昼食を食べていると、テーブルにホシムクドリがきて、私の手から胡瓜をついばんだ。あんなに近くで野生の鳥を見たのは初めてだった。ローマにはアフリカ大陸から渡ってくるというエメラルドグリーンの鳥がいて、もとこさんとミケレの住むアパートのすぐそばの並木に宿り、夜が明ける前から騒々しく鳴いた。

(続く)

半年ちょうど

金曜日 初台デニーズ
金曜日 ヘルシンキ
土曜日 ベルリン
水曜日 ローマ
月曜日 東京(残暑のさいごの悪あがき)
火曜日 新富町
火曜日 とこちゃんち
土曜日 ゴールデン街
水曜日 渋谷駅東横線ホーム(85年分のさよなら)
日曜日 官邸前
日曜日 海

歩いて
歩いて
歩いてた

きょうの風景(8/18)

朝目を開けると、白い、粒の大きい雨がどさどさ降っていた。ベッドに伸びたまま、白いなー、粒でかいなー、と、しばらくベランダを眺めた。神鳴りがひっきりなしに鳴って、稲光の閃光がカメラのフラッシュのようにバチッと目にはいってきたので、思わず目を閉じた。雨の粒がしょろしょろ小さくなってきたことが雨音の変化でわかって、目をあけてまた眺めた。すると、茶色いにゅるんとしたものが、弱まってきた雨のなかを、ベランダの向こうの塀を渡ってこっちへ近づいてきた。尻尾がとても長い。けもの! けものがこんなにベランダの近くへやってきたことはない。私は眼鏡をかけていないと両眼とも0.1以下の視力である。いそいで眼鏡をかけて振り返ったときには、もうけものの姿はなかった。たぶん近所の猫だと思う。でもよく見えなかったから、夢がふくらんだ。いまでもまだ、夢の続きみたいに思える。
雨がやんだと思ったら、すぐに真夏の天気になった。蝉も鳴き出した。はじーとカフェ巡りして読書と仕事の一日にするはずだったけど、山手通りを歩いていたら後ろから自転車でスーッと私たちを追い越していく人がいて、歩道の舗装が完成した山手通りをそういうふうに行くのは半端なく気持ちよさそうだった。私たちは初台駅の地下駐輪場でやっているレンタサイクルをいつかやってみようと前から話していたので、よし、いまから借りにいこう!ということになった。地下駐輪場のおじさんが「雨降ってない?」というので、はじー「さっきやみました」、私「とても晴れています」と同時に、元気よく言う。おじさん「今日はもう豪雨で誰もこねぇかと思った」と言ってしっしっと笑う。出してもらった自転車をはじーが「かっこいい自転車ですね」というと、おじさん「ありがとうございます」と言う。
私もはじーも、しまなみ海道以来の自転車=レンタサイクルである。山手通りをシューッとくだっていって、途中で左に折れて参宮橋で小田急線の踏切を渡って、そのまま代々木公園のサイクリングロードを一周した。人けのない窪地のような場所で、木漏れ日のなかで、お兄さんがギターをつま弾いていた。カラスが何羽も、芋虫をつついたりして遊んでいる。はじーがすぐ何かを「見て見て!」と自転車をとめるので、私は急ブレーキをかけてすぐ前につんのめる。ヒマラヤスギの木に、見たことのない大きい実がついていた。真っ白い、口金から出したクリームのような、ぼってりした実だった。売店で私は抹茶ソフト、はじーは氷結。白いソフトクリームを食べている子どもたちがいる。子どもたちがいなくなると、雀が来る。子どもたちが戻ってくると、雀がいなくなる。
もう少し遠出がしたくなったので、富ヶ谷にある、フレッシュネスバーガーの第一号店に行ってみることにした。通りすぎてしまいそうな、小さいおうちみたいな、全然目立たないフレッシュネスバーガーなのに、入るとほとんど満席だった。平屋の天井に窓を三つ作ってあるので、光が上から入って、とても気持ちいい。何か仕事の話をしていた常連らしいおじさんが「あっ、雨だ! やべえやべえ」と言って飛びだした。見ると、さんさんの晴れのなかに、今朝と同じ大粒の白い雨が、ばさばさ降っていた。

きょうの風景(8/5)

炎天下の駅前で、くわえ煙草で日傘を直している猫背のお婆さん。
下北のDVDとゲームの中古品店で、ずっと電話に耳をくっつけている店員のお兄さん。
夕方の暑さのなかで赤いTシャツに鉢巻きを巻いて店の入り口に立っている居酒屋のお兄さん。
マンションの部屋の窓から網戸ごしに住宅街に響いている、五十代くらいの夫婦の喧嘩の怒号。
そのマンションの手前にある、やっと涼しくなってきて蚊の多い、猫の額ほどの緑道。
日の暮れたあとの公園の隅で煙草を吸う人。
井の頭通りがもうすぐ拡張されるので、閉店すると貼り紙してある、おいしそうな飲み屋の提灯。
その隣の、住んでいるひとの気配のない、一階にクリーニング店の入ったマンション。
お客さんがいないのでオリンピックの卓球を大きなテレビで見ている中華料理屋の店員。
邸宅の高い塀の上から道に突き出た街灯。
その街灯の下、大きな細い黒い犬を散歩させているおじさん。